最後の青春時代

バキッ。12月18日俺は右足首腓骨骨折をした。

靴下を脱いだ瞬間、今まで見たことのない腫れだった。あの時の骨の折れる音、気温、周りの声、その時の心情は忘れはしない。

 

次の日病院に向かい、診察を受けた。

病院の先生は、色々なことを話してくれていたがほぼ頭に入ってこなかった。唯一頭に残っていたのが、「即手術」の言葉だけで、診断結果は右足首腓骨骨折全治3ヶ月だった。大学入って4回目の長期離脱。診断を受けた時は笑ってしまったと同時に自然と涙が出ていた。

切り替えは早い方だがその日は何も覚えてないほど頭が真っ白だった。

これが大学4年になる前の1回目の悲劇であった。

 

私は地元の藤枝で手術をすることに決め、みんなよりも先に帰らせてもらった。東京で手術するのも良かったが、藤枝の先生は肩の手術の時にお世話になった先生だったので信頼していたこともあり、藤枝に決めた。ただこの時はまだこの選択が2回目の悲劇になるとは思いもしなかった。

 

藤枝の病院での診断も変わらず、骨折であったが手術をしなくてもいいのではないかと言われた。骨の折れ方的に綺麗に割れていて保存治療でもうまくくっつくと思うと言われ、すぐに手術ではなく保存治療に変更した。

ギプスをして2ヶ月半ほど固定して様子を見て骨の観察をしていった。手術となるとボルトを入れたりし、手術にもリスクが少なくともある。正直ほっとしたし、一歩踏め出せたと思った。

しかし、2ヶ月半経ちレントゲンを撮ると少しも骨がくっついていなく、このままいけば手術しないといけないと言われた。とりあえず後1ヶ月待って観察してほしいと言われ、様子を見たが骨の状態は変わらず、この3ヶ月半が無駄となった。日常生活にはもう支障が出なかったため歩いたりはしていたが運動は禁止で様子を見ることしか出来なかった。

大学の授業が始まるため東京に戻り、病院を変え診断も受けたがその先生にはすぐに手術したほうがいいと言われ、怪我してから4ヶ月後に手術が決まり、これが2回目の悲劇であり、と同時にプロを諦めるきっかけでもあった。

小さい頃からの夢がこんなにもあっけなく散ってしまう感覚、サッカーが嫌いににりそうで怖かったが、サッカーを辞める選択肢は無く、私は地元の市役所を受けサッカーを続けようと決心し、一次試験の教養試験の勉強を本番の3ヶ月前から始めた。

勉強は大の苦手で人生の中で唯一逃げてきたことで、この3ヶ月は毎日9時間ほど勉強し、頭がおかしくなりそうだったが卒業後の自分の事を考えると自然と頑張れた。

 

月日が経ち、一次試験を合格し、面接も無事に通り、藤枝市役所に合格することができた。

 

偉大な先輩の言葉を借りますが、ユニホームをスーツにスパイクを革靴に私は頑張ると決意した。

 

プロサッカー選手になれはしなかったが、サッカーのおかげで沢山の人や最高な仲間に出会い、成長できた。サッカーに捧げた今までの青春時代は決して無駄じゃなかったし最高の財産となり、そして最後の青春時代に幕を下ろそうとしている。

 

私のブログを見てくれた方なら分かると思うが、大学に入りずっと神様を探していた。未だに見たことも会ったこともないし、願いを叶えてくれたこともなかった。

 

神様よ、いるなら俺の最後のお願いを聞いてくれ。

 

次の人生はプロサッカー選手にしてくれないか?

 

 

最後まで見てくださりありがとうございます。もちろんプロになれなかったことは悔しいです。しかし俺の人生はこれが幸せになれると考えてます。

諦めることも才能です。今何かに迷ってる方がいましたら思い切って決断してみてください。きっといい人生が待ってます!

これが私の引退作です。いいと思ったらインスタのいいねを押してください!

今までありがとうございました!